高校の校長先生との会話

このブログの中の人の地元である茨城県笠間市には、ユニークな高校があります。全国でも珍しい「メディア芸術科」というのがあるんですね。
しかも、毎年のように日大芸術学部に人材を送り込んでる、クリエイターのエリート養成所になっているわけです。

中の人はコロナ騒ぎが始まる前、茨城県内の社会人リーグのサッカーの試合というのを動画にして、Youtubeで配信してました。社会人リーグの試合というのは、土日に県内あっちこっちの会場で数試合をまとめて行うんです。一人では全試合を撮影できないので、試合数が一番多い会場(だいたい4試合ぐらいです)を狙ってカメラ担いで出かけてたんですが、そのうち「バイトでいいから別のカメラマン雇いたいなあ」と思うようになりました。

そこで地元高校に行って「こういうののバイトしてくれる生徒いない? できれば撮った動画の編集もしてくれれば嬉しい」と頼み込んだのです。

まあそうこうして校長先生に会い、その際に地元高校があっと驚くクリエイターのエリート校だという話を聞いたんですが、同時に「でもね、卒業生がみんな帰って来なくて困るんです」という話もうかがってしまったのです。

そうでしょうねえ。日芸入るような若者はもう地元になんて戻ってこないでしょう。そのクラスになれば都会でも勝負できるでしょうから。

先に中の人は、「東京は創作活動に向いてない」といいましたが、それはクリエイターとして一流になれない人、というか創作活動の稼ぎで家賃を払えない人の話です。どエリートは当然除かれます。

ただですね、才能があっても家賃すら払えない人、というのは、どエリート様よりも数が多いのですよ。

さらに言うと、コンテンツ製作業というのは、「百万の糞の上に一輪の花を咲かせる行為」でもあるんです。駄作の山を作らないと、きらりと光る世紀の傑作というのは出てこないもんなんです。なので10年にひとり、100年にひとりの逸材を生み出すためには、何千何万という人を、「とりあえず食える」状態にしてやらなきゃいけないんだろう、と思うわけです。

「とりあえず食える」だけで十分だとは思います。あんまり儲かると上を狙う気持ちが薄くなるでしょうから。